こども料理塾 クックルー

こども料理塾クックルーのブログです。こどもがワクワクしながら料理を作ることで、大人になってから自立した生活をするために必要な教養やスキルを身につけちゃう*そんな場をつくっています。

放課後デイサービス こども料理塾クックルーをつくる経緯

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こんにちはヾ(´▽`)ノ

クックルーの「GOさん」こと五十嵐豪です。

ブログができて嬉しいです♪

これからこの空間に僕らの考えや体験をシェアしていくとなると一層ワクワクします。

 

「このブログを書いているのは誰なのか」が読者の皆さんにも明確に伝わるように、はじめは僕らの自己紹介となる記事を中心に書いていこうと思います。

 

時間がない人は目次だけ読んでもOK▼

◯放課後デイサービスをつくる経緯

自立できない障がい者が死ぬまで入所する施設がある

◆起業のきっかけは「進研ゼミ」

民間学童経営の難しさに挫折

ヒントは「遊び」沖縄の放課後デイサービスでの講演で道開く

発達障害って特別じゃない。誰でもなり得る。あっても大丈夫。

 

放課後デイサービスをつくる経緯

自立生活できない障がい者が死ぬまで入所する施設がある

僕は東京・福岡でコーチングというコミュニケーションのトレーニングを受けていました。

コーチングとは諸説ありますが、ここでは「人を力づけ、機能させるコミュニケーション」と捉えていただければ幸いです。

同じくコミュニケーションを学ぶ同期の仲間で食事に行ったときのことです。

メンバーは障がい福祉の仕事をするYさんと、産業廃棄物処理の仕事をするTさんと僕でした。

 

Tさん「うちの会社で、得意先に大きな企業があるのですが、その会社が法的に雇うべきな障がい者人材をうちの会社に丸投げされているんですよね。その子たちの話を聞くと親と生活していないと生きていけないんじゃないかなって心配になったんですよ。障がい者で働き先は増えたけど、その子たちは親に先立たれたらどうなっちゃうんですかね。」

 

Yさん「Tさん、僕は前職に障がい者の子達が死ぬまで入っている施設で働いてたの。親に手放されたり先立たれたりして、その子たちが望んで入った場所じゃない。夜なんかも大変でね、僕はそういう子たちが、一人で暮らせなくなる前の段階で自分ができることをしたいと思って今のNPOをつくったんだ」

 

僕はこの会話の中にいて、自分も何かできないかと思いました。

実際に施設で働いていたYさんの言葉は、自分もその場にいるかのようなリアリティがありました。

僕は当時から料理がこどもたちの自発性やチャレンジ精神や創作意欲をわきたてるということについて探究していたので、その会話の場で持ち出しました。

自分が今まで料理研究家として培ってきた料理とコミュニケーションの探究を社会の役に立たせたい、そう伝えました。

するとTさんからも、Yさんからも、それは素晴らしいと賛同いただき、Yさんからは沖縄の施設で講演する機会を作っていただきました。

それまで「こども料理塾」は健常者のこども向けに始めたいと思っていたのですが、世の情勢を聞いて、障がいをもつ児童と一緒に料理をするという新しい世界に飛び込むきっかけが生まれたのです。

 

◆学生起業のきっかけは「進研ゼミの付録」

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僕の話になります。

僕が小学校の頃、進研ゼミをやっていて、付録の小冊子に興味を惹かれました。

「人間はこんなにゴミを捨てているだよ」

「蛇口をひねると水が出てくるけど、本当は有限だったり水がない国もあるんだ」

イラストや写真付きで分かりやすく社会問題について知った僕は、ゴミの分別を始めたり、水を節約してみたり、自分ができることをしてみました。

将来は地球温暖化を止めたいとボンヤリ思っていました。

 

そんなことも忘れて育ち、専修大学経営学部に入りました。

経営ってなに、会社を経営する学部なんて知ってたら選ばなかったかもしれません。

僕は附属高校からの仲良い友達が経営に皆行くから、慌てて経営学部を選びました。

経営の初めての授業、恩師の笠原伸一郎教授に、3つのことを学びました。

 

1・経営は夢を実現させる学問です

2・明日役に立たなければ、それは学問ではない

3・経営の着地点は社会貢献です

 

これを聞いた時、経営っておもしろいかもしれないな。と思って興味が出ました。

いつの間にかこんなに勉強したことないってほど夢中になり、食を通した地球への還元をしたいと考え大学4年次の4月に所持金4万円で開業届けを出し、料理も社会も未経験のまま料理研究家になりました。

 

障がい福祉の課題を知ったのは、21歳だった当時から、8年が経ったころ。

会社の社長を妻の五十嵐ゆかりに引き受けて頂き、僕は会長となって業務から離れて新しいチャレンジをしようとしていました。

 

民間学童経営の難しさに挫折

社会事業の支援をしている友人から「豪さんの取り組みはアフタースクールがいいかもしれない」というアドバイスを頂きました。

アフタースクールってなんぞ?と話を聞いてみると、民間運営の学童保育事業でした。

そうか、アフタースクールについてもっと知りたい!と思い、友人から福祉事業に取り組む経営者の方を2名紹介して頂きました。

 

「やめた方がいい。」

真顔でハッキリと、明確に、人には話さないようなリアルな体験を話して頂きました。

初対面の僕に、本気で話を聴いていただき、本気で体験を伝えてくれ、意見をくださったことをとても感謝しています。

 

僕は自分が「やるぞ」と決めたことは、ひたすらチャレンジしてみるのですが、アフタースクールは「光が見えた」と思った矢先に道が閉ざされてしまったような気持ちになり、挫折感を味わい、無になりました。

 

ヒントは「遊び」 愛知と沖縄の講演で道開く

ヒントは「遊び」でした。そのヒントは東京ではなく、愛知と沖縄にあったのです。

僕は仕事で「全国の食や地域の活性を力づける」というテーマで全国をフィールドに講演やコンサルティングやレシピ開発などをしています。

愛知では愛知県春日井市に、地元を日本一幸せな町にするという想いで事業をしている建設会社がありました。

はじめは僕が開発した「大盛りダイエット」をテーマに講演をするという依頼だったのですが、社長の想いに耳を傾けていると、親子や夫婦で参加できるような、一緒に料理をつくることで幸せな春日井をつくる料理サロンをひらくことを提案させて頂きました。

 

そこは奇跡の連続でした。

参加者の中に、思い通りに行かないと泣いたり叫んだりして暴れるこどもがいました。

お母さんはそのこどもの姿勢に諦めて、一人で料理をしていました。

僕は三重の生産者アドバイスツアーの出張から、その足で愛知入りしていたので、珍しい形のミニトマトを持っていました。

ブドウの房のように連なってなるそのトマトの実は見た目も華やかでかわいいので、参加者の皆に振る舞いたいと思っていました。

ミニトマトを皆に披露すると、お母さんたちから「お〜!」という声が起き、綺麗な房の取り方を僕が教えると我先にとこども達はトマトに群がりました。

すると暴れていた母さんから「うちの子、トマトは絶対食べないのに、3こ食べたんです。」と驚いて信じられないような表情で、それでいて嬉しそうにされているのを見て、僕もうれしかったです。

 

他にも料理を食べ終わってから全体で振り返って気づいたことをシェアする時間を作ったところ「うちのこどもは、料理とかできない、って思ってたんですけど、すごいできててびっくりした。」という声があがりました。

 

夫婦でご参加されていた旦那さんがいました。

話をしていると「うちは仕事と家事は完全分業なんです。」と言われていました。

一連の料理をつくってみての感想は「料理ってこんなに大変なんですね。」と気づいて奥さんに「ありがとう」を伝えていました。仕事だけしていたら一生気づけない奥さんの素晴らしい仕事の価値に気づかれたことを僕も嬉しく見ていました(^^)

 

沖縄の放課後デイサービスで料理セミナーに登壇したときも奇跡の連続でした。

事前にデイサービスを下見する機会を頂きました。

発達障害のこどもと出会うのは初めてで、テレビに出たり人前で講演するときの緊張とは違った質の不安が混ざった緊張感を感じていました。

初めてこども達と接した感想は

 

色んなこどもがいる(´▽`)ノ

 

拍子抜けした感じがありました。

障がい者と言われる方と接した機会がなく、発達障害という言葉に”なんか重たい感じ”の印象を持って未知の不安に感じていました。

実際一緒に餃子をつくって食べていると、なんてことない。

包丁を使いたい、ドキドキするけどホットプレートで餃子を焼いてみたい。

こども達のもつキラキラした弾む心がまるで目に見えているような、僕までエキサイティングな気持ちになって一緒に色んな形の餃子をつくって遊んでいました(・ω・o)

 

みんなの輪に入れない子もいる

みんなの流れに必死についていこうとする子もいる

大人のスタッフの方にトゲトゲしい暴力にも似た言葉をぶつけてしまう子もいる

話を聞いて欲しくて仕方がない子もいる

部屋の隅にあるテーブルの下に潜ってずっとゲームをしている子もいる

 

本当に色んなこどもがいます。

翌月、料理セミナーの本番に沖縄へ行きました。

結果は大盛況。

 

ここでもたくさんの奇跡が起きていました。

トマト嫌いで絶対食べないというこどもも、トマトが一人4個分は入っている「トマトだけカレー」というメニューを完食していてお母さんはうれしそうにしていました。

6歳の男の子も果敢に包丁や火にチャレンジしていました。

僕が絶対怪我しない包丁講座をデモンストレーションすると、こども達、目をキラキラさせてみてる。こういう危険な(?)遊びの方がこどもっておもしろがるよね。

普段こどもと話す機会がなかったというお母さんから、料理でこどもと話す機会がつくれてよかった。本当は話したかった。後日一緒に料理をつくってみた。と報告の連絡を頂き、あ〜本当にやってよかったなぁと伝えてくれたことに心から感謝が湧きました。

 

こども達ってすごく素直で、何かやりたいと思ったら自然と行動しているなって感じます。それを大人が止めちゃう。危ないから、お前には早いから、これはあなたがやることじゃないから、色んな理由をつけて止めちゃう。これはもったいないと思う。 

 

こどもが本来持ってる色んな物事に挑戦する力、行動する力、好奇心を生み出すバイタリティ、観察力、ぜーんぶ解放させてあげたいな。

包丁も使おうぜ。火も使おうぜ。色んな道具も技も覚えて使おうぜ。

本当はいっぱい試してみたいことがある。

やりたいことを自由にさせてくれるのってゲームの中だけ。ゲームの世界に大人はいないから、だからゲームの世界に行っちゃうんじゃないかなぁ。 

 

発達障害って特別じゃない。誰でもなり得る。あっても大丈夫。

 僕が沖縄の放課後デイサービスで感じたのは、発達障害って特別じゃない。

障がいという言葉に、障がいというリアルを知らない人が、何か自分ではわからない扱えないテーマのような不安さを感じているのかもしれない。

僕はそうでした。でも一緒に遊んでみると、ちょっと情緒的感情の振れ幅が大きかったり、自分を集団の中に存在させられなかったり、個々に違いはある。その上で遊んでみて全然不安なことなく一緒に料理できたりするし、おいしいものをおいしいって言えるし、美味しい料理だってつくれるようになる!

 

一方で誰でも障がい者になり得ると感じました。

例えば真面目な職種についている両親が、こどもに勉強しろ、早く寝ろ、風呂入れというようなシツケという指示命令で、こどもに考える暇を与えさせないほどの頻度で飛び交うと、こどもは自分が自分でいられなくなって、心に障がいを持ったりおかしくなることは十分に起こり得る。

障がいを認定されるかどうかに関わらず、親や教師からの指示命令に従順にさせられて育ったこどもは、自分は自分のままではダメなのかなと人との関係をつくるのが苦手になったり、他人を意のままに操ろうとしたり、思い通り行かない時は怒って手がつけられなかったり、ちゃんとそうなるように育てられたこどもも多いような気がします。

 

僕は料理がこどもに自由さ、自発性、想像力、意欲を誘発するものと確信しています。

こどもがワクワク料理を楽しみながらつくることを通して、大人になって自立した生活に本当に必要な教養やスキルを身につけられる場をつくりたいと思っています。

 

熱く語ってしまいましたが、そんなクックルーがあることによって、一人でも多くのこども達に自由さと世界の楽しさを伝えたいなって思います(^o^)/